三条大橋その周辺を巡る

三条大橋

 ここが中山道の終点と言ったら地元の人から「いや、ここが起点です」と言われてしまった。ともあれ鴨川のこの場所に最初に橋が架けられたのは室町時代。天正17年(1589)には豊臣秀吉の命により石柱の橋に改修された。さらに元禄、明治、大正の各時代にも架け替えが行われている。
 この周辺の三条河原にはかつて処刑場があり、石川五右衛門や豊臣秀次、石田三成、近藤勇などの首が晒された。
 橋の周りには駅伝発祥の地、弥次さん喜多さん、高山彦九郎正之などの像や碑があるほか旧三条大橋の石柱、高札場などがある。また擬宝珠の刀傷も現存。
所在地/京都市東山区三条大橋

本能寺

 地下鉄東西線三条駅から1つめの京都市役所前駅で降りるとすぐ目の前にあるのが本能寺だ。ただし現在の本能寺は「本能寺の変」のあと豊臣秀吉が再建したもの。織田信長が明智光秀に滅ぼされた本能寺は「旧本能寺跡」として別の場所に碑が設置されている。
 境内に入ると大きな本堂が目を引く。とにかく立派な寺院だ。日隆聖人の開山で「法華経」と日蓮聖人の真意を説き明かす大霊場と説明されている。
 境内で多くの人が訪れる場所はなんと言っても「織田信長公御廟所」だろう。墓の前に立派な門が作られていて、その偉大さを今更ながら認識させられる。下げてもらった御朱印には勇ましい信長公のイラストが描かれてあった。
所在地/京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
電話/075(231)5335

旧本能寺跡

天正10年(1582)6月2日に明智光秀が本能寺の織田信長を急襲した「本能寺の変」が起きた場所がここ。現在は京都市立堀川高等学校本能学舎や京都市本能特別養護老人ホームなどの複合施設となっており、その一角に碑がある。
所在地/京都市中京区蛸薬師通油小路東入ル
交通/阪急烏丸駅から徒歩約10分。

池田屋跡

 池田屋は長州などの討幕派が謀議中に新撰組に急襲された場所として有名。乱闘の末、討幕派7人、新撰組3人が死亡した。現在は「池田屋」の名称が大きく書かれているが、「はなの舞」という居酒屋となっている。店の前には「池田屋騒動之址」と刻まれた碑がある。
所在地/京都市中京区三条通河原町東入中島町82
電話/075(257)8122

先斗町

 三条大橋付近の西側から鴨川沿いに延びる細い小径が先斗町通りだ。京都五花街の一つで、京都市随一の繁華街である四条河原町の東端にある。お茶屋や料亭・レストラン・バーなどがあり、夏には納涼床を設ける店も多くあるようだ。
 通りの中程には先斗町公園があり、そこから鴨川の河原に降りることも出来る。取材時は公園の前で三味線を弾く人を見かけた。
所在地/①京都市中京区先斗町通四条上る柏屋町173・2(先斗町のれん会)
②京都市中京区先斗町通三条下る(先斗町歌舞会)
電話/075(221)2025(先斗町歌舞会)

高山彦九郎正之像

 三条大橋のたもとにある。彦九郎は勤皇の思想家。林子平、蒲生君平とともに「寛政の三奇人」のひとりと言われている。現地ではその姿から「土下座像」として有名で、待ち合わせの場所として使われている。しかしこれは土下座をしている訳ではなく、三条大橋の東から皇居に向かい、皇室の衰微を嘆いて涙を流したときの姿だそうだ。

近くには擬宝珠刀傷跡
 三条大橋の西側から2つめの擬宝珠に刀傷跡が残っている。これは池田屋事件の際に付いたものだ。